昼下がりの水戸の街で、僕は水戸の拠点にしている本拠地のオーナーの息子二人(通称:ソルチル)を連れて、BBQをしている友人宅に向かっていた。長男と何気ない会話をしていたら、彼のお母さん(本拠地のオーナー)の話になった。
僕「君のお母さんは昔、ゲーム制作の会社にいたはずだよ」
長男君「えっ」
そう言って、長男君は足を止め、僕を見た。
僕「あり?知らなかったのか。いつだったかそういう話を聞いたよ。」
長男君「知らなかった。ゲーム創ってたなんて...」
彼は自分の母親のことを少し思い返しているようだ。
僕「あぁ、翔さんはすごいんだよ」
※翔さん=本拠地のオーナーで長男君の母親。
僕がそういうと彼はほくそ笑んでいたようだ。何度か長男君と接してきたけど、彼がゲーム以外で笑顔になるのはあまり見かけなかったからうれしいような気分になった。
僕「今度気になるなら、お母さんに話を聞いてみるといいよ」
長男君「うん」
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「君のお母さんはすごいんだよ」
そんな言葉を聞いたことは、「母を訪ねて三千里」や「家なき子」とかの世界名作劇場の中でしか聞いたことがない。
よくもいけしゃあしゃあとそんな言葉が長男君に向かって出てきたものだと思うけど、子供の立場となれば、この言葉は嬉しいことだったんじゃないかなと思う。
少なくとも、僕はこの26年生まれてこの方、母に対して、一度もそんなセリフを誰かから言われた記憶はないけど、もし母を知る人からこういった言葉を聞くことができたらうれしい気持ちになるものだ。
父親に関しては、「あの人は敵をつくらない。それがあの人の魅力だ」ということを母から聞いて、「この人でも人をほめることがあるんだ」と思い、父に対して「この人はこんなひとなんだなぁ」と思い返すこともある。
自分の目線ではわからないことも、他の人の視点から教えてもらうことってあると思う。
僕はそうやって新しい視点を人に届けられたらいいなって思っているけど、今日の長男君とのやり取りは自分にもそういった気づきを与えてくれるものだった。
このコロナ状況下のGWは父がいつ死んでも葬儀で、父の楽曲を流してあげられるように、撮影して親孝行の一つでもすることにしますかね。